堀江貴文さん著書「多動力」が色々と考えさせられる。
全8章 31節の構成で、各節毎に「やってみよう!JUST DO IT」というTodoコーナーが設けられている実用的なビジネス本だ。
目次欄には「一つの仕事をコツコツとやる時代は終わった」や「電話をかけてくる人間とは仕事するな」など、挑発的だが素直で人間らしい見出しが踊っている。
今の仕事への取り組み方に悩んでいる自分にとっては少し気を楽にしてくれる良書となったので、何日かに分けて気になった節についての考察やTodoを実践してみようと思う。
「寿司屋の修行なんて意味がない」についての考察
今日は第1章 第1節「寿司屋の修行なんて意味がない」について考察する。
この節の概要は「インターネット出現前は特定の人間だけが技術や情報を独占し、それこそがその人の価値だった。しかしインターネットの時代は、誰かが何かを開発したらそれを公開し、みんなでより良いものを生み出していくというオープンイノベーションの時代だ」という事だ。
職人に弟子入りして何年も何年もかけて技を修得していくという時代ではなく、情報や技術を様々な方法で共有⇔収集し、あとは早く行動に移すことがこれからの時代の時間の使い方だ。ということである。
これについては「納得できる部分」、「納得したい部分」、「異論」と3つの意見が発生した。
多動力 第1章 第1節について納得できる部分
まずは納得できる部分について。これについては明白で、インターネットの技術発展に伴い誰もが情報発信を行える時代となり、情報発信を行った者が自分では予想しえない新たな仕事を生み出すという図式が完成されているので、人は自分の持っている知識や技術をブログや動画共有サイトを使って積極的に発信している。
その情報に価値を見出すのは受け手次第だが、少なくとも一昔前までは限られた人だけが持つ特別な技術や情報だったものが、インターネットで手に入るというオープンな時代になったということは間違いない。
多動力 第1章 第1節について納得したい部分
次に納得したい部分だが、これには自分の葛藤があるため「納得したい」という表現になってしまっている。
著書には「発明というのは、まったくのゼロからは生まれない。世界のどこかで発明が生まれたのならば、すぐに共有し、その上に新しい発明を積み重ねるほうが技術の進化は速くなる(多動力 第1章第1節より引用)」と書かれている。
ここに浮上してくる問題が「パクリ・参考・模範・オマージュ・パロディ」の違い問題である。
発明者が使用の範疇を決めて共有し、それを元に新たな発明が行われるのならばなんの問題もなくクリーンな技術発展につながっていくのだろう。しかし共有には様々なパターンがあり、発表は常に共有と隣合わせであるという事を認識しておかなければならない。
話が少しそれるが、自分には技術やアイディアにおいて尊敬しているデザイナーが何人かいる。その人たちが作り出すデザインを穴があくほど見て士気を高め、いつか自分もこのような作品を生み出せるようになりたいと日々思案している。
そんな折、ある案件で制作した意匠が「パクリ」と指摘されてしまった。
自分としてはパクったつもりなど全くなく、尊敬する人の技術に挑戦してみたかった。その技法がとても楽しかったという理由で採用したものだったのだが、傍から見れば確かにそんな事は関係ない。「技術が似てる=パクリ」だ。
指摘されるまではそんな事を思いもしなかったので、本当に恥ずかしく、「パクリ」に見えるものしか作ることが出来ず、そこに自分の個性を入れられなかった未熟さと自分自身の甘い考えを悔いた。
話を戻すが、オープンイノベーションの時代になった分情報を手に入れやすくなった事で「パクリ」や「模範」の境界も曖昧になり、また、それに対する意見も様々なものになった。しかし「パクリの元になるから情報共有はダメだ」となるのではなく、さらに面白いものを生み出す、イノベーションに繋ぐ大切なツールとして、インターネットが活用されていくことを願って止まない。
多動力 第1章 第1節についての異論
異論については、自分が務めているデザインの講師としての立場からの意見となる。
先に述べたとおり、著書には「職人に弟子入りして何年も何年もかけて技を修得していくという時代ではない」という旨の内容が書かれている。
確かにインターネットで少し調べればデザインの基礎が書かれた記事は五万と出てくる。(実際にGoogleで「デザインの基礎」と検索した結果、約 98,200,000 件がヒットした。)また、書店に行けば一から丁寧に解説された本が所狭しと並べられ、ネット授業のようなものに登録すれば誰でも簡単に基礎を学ぶことが出来る。
検索した記事を端から実践し、書店に置かれている本を何冊も読んで実践していけば大抵のデザインは作れるようになる。
ではなぜ自分はこの節に異論を唱えるか。それはやはり修行というのは必要だと思うからである。
基礎的なことは本を読んで努力をすれば大抵のことは出来るようになる。しかしそれが良いものか悪いものか、どれが正解でどれが不正解なのか。どうすればより良いものを作ることが出来るのか。それを自分自身で判断するのは容易なことではない。
そんな時にこそ先人たちが培ってきた技術や知識を拝借し、自分のものにすることでより早く目標地点に到達できるようになるのではないだろうか。